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科学と非科学の間(散文)

私は東京に月1,2回ほど行っていて、

最近は頼まれて宝石の仕入れをすることが多い。

地方で宝石関係の仕事をしている人は、ネットや電話で業者に連絡して宝石を発注している人も多くいる。宝石の仕入れ価格とサイズ、色あいは長くこの仕事をしている人なら苦労せずとも相関関係が分かるので、全く問題ないと思う。

例えばダイヤは4Cというグレード別の価格が世界共通になるように定められている。だから商社に電話して「ガイ100,000円のダイヤ2部石を10ピース送ってください」と頼めば「はーい」とすぐに送ってくれるし、双方の品質イメージにも差異はほとんどないはず。(ちなみに「ガイ・・」のセリフは業界用語です。)

これをしないでわざわざ御徒町に出向いて行き、自分の目で石を見て仕入れるって非効率だと思う。「そんなことやってるの?」と笑われても仕方ないというか、1人だからやれてることかもなぁとも思っている。でもこれは私にとって譲れないことのひとつだったりする。

ダイアモンドの鑑定は科学。

数値計算と拡大検査の組み合わせで全てが決まる。

決まれば価格も決定する。

でもこれだけじゃ足りないと私は思ってる。

宝石は目で見て、心で感じるフェーズが必要。

同じグレードのダイアモンドでも、クールな印象のものがあれば温かさを感じるものもある。これは全く科学的じゃない動物的第六感を発動させた私個人の見解。

宝石がどんなふうにできるかを語るとオタク気質が出てきて、時間を無視して延々と喋ってしまうからここでは割愛するけど、全て天然なんだよね。例えば野菜は種を植えて肥料をやって水をやり、育つために適切な環境を整えてあげて規格の品ができる。でも宝石はそうじゃない。地球の奥深くでものすごい熱と圧力とスピードと奇跡的な環境がうまいこと合った時だけこの世に出てこれる。ダイヤなんて99.9%炭素でできてるんだけど、単一物質の純度がこれほど高いものはこの世に存在しない。

純度が高く、かつ奇跡の重なりで生まれる宝石は人間と同じだと私は考えてる。だから人との相性も必ずある。依頼くださるお客様の顔や雰囲気と、目の前のこの宝石は一緒になった時相乗効果を生むかな、お互い幸せになれるかな、と感じながら宝石と対話している。宝石と向かって座る私は心の中で「うちに来るかい?」と話しかけている。もちろん一定の品質以上の良いものを選ぶ。その後に“感じて対話する”工程を必ず入れている。

先日会食の席で婚約指輪を過去に作らせていただいた先輩からこんなことを言っていただいた。「何度か奥さんと喧嘩したけど、仲直りのきっかけが大瀧さんに作っていただいた婚約指輪だったことが数回あった。今思うと誰が作ってくれたかって大事だと気づいた。」ものすごく嬉しい言葉だなぁと思いつつ、なんでこんなことが起こるんだろうと振り返ると上記のことをしてるからかなぁと思った。

誕生石やパワーストーンについて質問されることが度々あるんだけど、その都度「申し訳ないけれども科学で説明できないことについて、私はお答えできかねる」的な答えをしている。しているくせに一番非科学的なことをしている自分に今気づいてしまい、笑うしかない。

もっと感じる心を大きくしたい。

どんなことも受け入れて、良い方向へ価値転換できる自分でありたい。

そして今年の目標は

恋愛映画と、おばあちゃんが出てくる映画を観れる自分になること。恋愛映画は切なすぎて心が持っていかれるのが辛くて勇気が出ないし、おばあちゃん子だった私はおばあちゃんが出てくる映画を見ると問答無用で号泣してしまうから手を出せない。でも両者ともに生きてる人間だからこそ体験できる世界であり、豊かな大きな世界なんだろうなぁと思う。柔軟に感じる心を大きくしていきたい。切なさも受容したい。