ひとりごと
▷ひとりごと
・感じることと手放すこと。
・悲しさや怒りは思い込みから生まれる。
・考えないで感じる。
それに気づいてから心のあり方が
ドラスティックに変化していて
毎日がおもしろい。
生きている私たちは感情の生き物なので
・楽しいだとか
・寂しいとか
・悲しい、辛い
・腹が立つ
・ワクワクウキウキする
・やった〜♪
なんて色んな感情と共に生きてる。
そして感情はコロコロ変わるのが常。
変わらないものは不自然。
自然界においては混沌こそあるがままの姿と思う。
なのに私はこれまで変わらない何かを求め
人との関係性や社会との関わりに
名前を付けたがり安心を得ようとしてきた。
安心安全の世界に安住したがった。
でもこれって本当なのかな?
安心安全がいいのかな?
ていうか安心安全って思わされてるんじゃないかな?
とふと昨年思った瞬間があった。
私が信じてきた正しさや常識って
本当に今の私にとって心地いいの?
と疑い始めたとき、
これまで気づかないふりをしてきたモヤモヤが明るみに出た。
嬉しい、幸せ、ありがとうという気持ちは意識して大きくしていったらいい。周りに還元できるから。
でも悲しい、辛い、傷ついたなどのマイナスのような感情はそれ自体の存在を疑ったらいいんだと思えた。(そんな気持ちで生きてても周りに良い波紋を広げられないからあまり意味がないように思う。)
なぜならそれらは私の思い込みを基盤に発生しているから。「こういう状態が嬉しい、幸せ」という思い込みがあるから、そうじゃない時に反対の感情が生まれる。
でもその思い込みって、その考えって、
本当に自分が日々体験したことを元に腹落ちしたことだっけ?
納得したことだっけ?
実は生まれた時から思わされてきたり
学校や周りの大人から聞かされてきたことをそのまま信じちゃってない?
例えばお互いに信頼しあった友だちがいて、結局悲しい形で離別したとき、「こんなにひどい形で終わってしまって私は傷ついた」と思うこともできる。でも実は相手にしてみたら、それが彼女なりの最大限の誠実さだったかもしれない、と心を広げて思惟することも、彼女の幸せを祈ることもできる。
つまり何を言いたいかというと、
全て表層に表れて見えるように思えていることが正しいという証拠は何もないということ。
自分の見方や考え方をできる限り透明にして広げる努力をしないと、本当のことは見えてこないということ。また真実を見ようと行動する勇気も必要だということ。(恐ろしく膝ガクガクになったりすることもあるけど)
100人いれば100通りの感情があって、
全く同じものはほとんど存在しないと思う。
だから一時の感情にとらわれたり振り回される必要はないと思う。感じることからは逃げられないから感じたらいい。でもそのあとで手放したらいいんだと思う。
そうすると色んなものに気づける。
頭で考えて答えのようなものを出し安心することに意味はあまりなく、むしろ感じる心を養いたい。
「生きていてこんなに苦しいことってあるのか」と感じた経験がないわけじゃない。でもその苦しいっていう気持ちはただの思い込みに過ぎないんだなぁと腹落ちしている今。
つまり自分の人生における
常識や正しさは自分で試行錯誤しながら作っていこうよ。人が言うことを間に受ける必要もそんな時間の余裕もないよ。と今思っている。
と、こういうことを人に話すと
「変わってるねー」とポカンとされたり
「生きづらそう」と言われたりすることが多いんだけど、むしろそれは自分の人生を開拓していってる証拠だからいいと思ってる。200人くらいに1人「あ〜そうそう」と言ってくれる人に稀に出会えることがあって(なんと今年に入って2人いた)そんな時は生きてきて良かったって嬉しくなる自分がいる。